ポンペイの噴火レベルは凄かった?そもそもどこ?場所や地図について
PR

ポンペイの噴火規模・レベルとは?そもそもどこ?場所や地図

旅行

およそ2000年前に起きたヴェスヴィオ火山の大噴火。

それにより、一夜にして街も人も土石流に埋もれてしまったといいます。

そう聞くと、あまりにすごい噴火だったのかと想像しますが、果たして規模としてどのようなレベルの噴火だったのでしょうか。

ポンペイの噴火レベルや場所、その魅力についてまとめました。

ポンペイを埋め尽くしたヴェスヴィオ火山の噴火レベル

ヴェスヴィオ火山は何度か噴火していますが、そのふもとにある都市「ポンペイ」や「ヘルクラネウム」を一瞬で地中に埋めてしまったと言われる、一番有名な噴火が、西暦79年の噴火です。


火山の噴火形式は、噴出物の量や爆発の規模から、

・ストロンボリ式
・ブルガニ式
・ブリニー式

と種別され、ブリニー式が一番強い噴火になりますが、ヴェスヴィオ火山の噴火はブリニー式。


最初に噴火したのが8月24日の昼頃、翌25日の朝に拡大、噴煙は20kmの高さまで立ち上り、火山灰や暑い空気が一体となって時速100km以上の猛スピードで流れる「火砕流」が発生して街も人も飲み込み、約2000人もの人が犠牲になったと言われています。


多くの人が犠牲になった理由として、噴火前に地震が起きるなどして予兆はあったものの、街の人々は逃げることをしなかったから、ということも伝えられています。

いざ、火砕流が発生して、逃げようとしても遅かったのです。


街は、およそ5〜6メートルもの火山灰に埋もれ、迅速に復興は行われたものの、ポンペイやヘルクラネウムをはじめとする、山麓のいくつかの町や村の復興は断念され、そのまま放置されました。

世界遺産「ポンペイ」場所や地図について

「ポンペイ」が一番聞き慣れた名前なのではないかと思いますが、世界文化遺産の登録名は、「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域」

イタリア南部にあった古代都市「ポンペイ」や「ヘルクラネウム」の都市遺跡や、その昔、上流階級の人々が立てた家とされる「ヴィラ」などで構成されています。


まず、イタリアが下記のようにありますよね。

これをグググ〜ッと拡大しますと、ローマの右下の方に「ナポリ」があります。

これをさらに拡大しますと、ナポリのすぐ右下にある「ヴェズーヴィオ国立公園」というのが「ヴェスヴィオ火山」で、そのさらに右下あたりが「ポンペイ」。

ヴェスヴィオ火山からポンペイまでは約10km、ナポリから鉄道で40分ほどの距離になります。

ちなみに「ヘルクラネウム」は、ヴェスヴィオ火山のすぐ左あたりに位置しています。

日本から訪問する場合、ナポリへの直行便はなく、ミラノかローマで乗り継ぎます


時間にして約14時間。
半日以上かかるんですね!

噴火がすごかったからだけでないポンペイの凄さ

ポンペイの凄さは、なんと言っても、当時のままの姿が現代にも生きているということですよね。

すぐには発掘されず、約1700年もの間眠っていたのに…!


本格的な発掘が開始されたのは、農民が井戸を掘っていた際に、大理石の柱を発見したことに始まると言われていて、本格的な発掘が始まったのは1860年になります。

すごいのは、2000年も前であったにも関わらず、道路や排水設備などがしっかりと整備され、街並みや建物は都市として栄えていたということ。


そして、壁画や美術品なども当時のまま発見され、そこで、住民がどのように生活していたのかがわかるほど、そのままの状態で復元されたのです。

これは、火山灰にずっと埋もれていたおかげで、火山灰が乾燥剤的な役割を果たし、劣化を防いでいたからだと言われています。

そして、当時、逃げられずに命を落としていった人々の姿も復元されていますよね。

これは、その人そのものが残っていたわけではありません。


本格的な発掘が始まり、そのリーダーだった博士が、火山灰の層の中にたくさん空洞があることに気づいたのが始まりなのだとか。

その空洞は、火山灰に飲み込まれてしまった人々が、時を経て腐食して分解され、火山灰の塊の中で空洞になり形を残したものだったのです。


そこに石膏を流し固めることで、人々の姿が復元されたわけです。

当時、まさに噴火に巻き込まれ、命を落とす寸前の姿…。

だからとってもリアリティがあるのですね。


灰に埋もれていたからこそ、当時のままで保存されていた街並み、そして、灰に埋もれていたからこそ復元することができた当時の人々の姿。

自然が織りなす神秘としか言いようがありません。


そして、それらを再現しようと熱い思いで関わってきた人たちの努力によって、私たちの元に届けられているのですね。

ですが、発見されたことで劣化が進み、倒壊の危機に瀕しているものも少なくないそうです。

そう聞くと、灰の中で保存され続けてきたことが、いかにすごいことだったのかがわかりますね。

まとめ

以上、ポンペイについて、当時の噴火規模や場所、世界文化遺産としての魅力についてでした。

ただ、美しく見応えがあるというだけでなく、多くの人が犠牲になったこと、そして、2000年も前に確かに存在していた、当時そこで営まれていた生活。

そんな奥深さに触れ、世界の広さをまた感じることができ、見る人それぞれの心に何かを残していく。

ポンペイ展が各地で開かれるほどに、人気な理由は、そんなところにあるのかもしれませんね。