「ナスカの地上絵」は、1939年にアメリカの考古学者コソック博士が飛行機から発見しました。
あの200以上もある神秘的な地上絵は、今も世界遺産として名を馳せています。
この地上絵たちは、なんと今から2000年から3000年前に描かれたと言われているんです。
なのに、ナスカの地上絵はなぜ消えないのでしょう?
どうしてあの地上絵たちは今もなお、その姿を保ち続けているのでしょう?
この記事では、そんなナスカの地上絵の不思議に迫っていきます。
ナスカの地上絵はなぜ消えない?4つの理由
ナスカの地上絵はどうして消えないのでしょう?
その理由には次の4つの理由が考えられます。
ナスカの地上絵が消えない理由①降水量が少ない
まず、この地域の降水量がめちゃくちゃ少ないこと。
ナスカ地方は、地球で最も乾燥している場所の一つで、年間の平均降水量はたったの4mm。
最も雨の日が多い2月で8.6mm、夏季には2ヶ月近く全く雨が降らない日が続きます。
参考 : Weather Spark Nazcaにおける年間の気候および平均気象
日本で最も雨が少ない県でも、年間平均1000mm弱なので、いかに降水量が少ないかがわかりますね。
実際にナスカに行ってみると、周辺には木一本生えていない、広々とした砂漠地帯が広がっています。
しかも、この砂漠はただの砂だけじゃなく、土や岩が混じった特殊なもの。
そういう環境だからこそ、地上絵が雨に流されずに残っているんですね。
これらの地上絵が描かれたのが2000〜3000年前というのも驚きですが、もしナスカ地方に雨が多かったら、地上絵は今頃消えていたかもしれません。
ただし、最近は世界中で異常気象が頻発していますよね。
ナスカ地方でも、雨期の降水量が増えてきているそうで、地上絵の存続が心配されています。
こんな不思議な地上絵たち、これからもずっと残ってほしいですよね。
ナスカの地上絵が消えない理由②独特な土の構造
ナスカの地上絵が風化しにくいのには、また別の興味深い理由があります。
地上絵は、暗赤色の平原に白い線で描かれているのですが、この白い線の正体は礫層の下の粘土層。
粘土層は、乾燥すると灰白色に変わって硬くなります。
ナスカのカラッとした気候が、この粘土を固めて白色を強くしてくれたわけです。
そして、風が吹くと線の凹んだ部分に溜まった砂塵はキレイに吹き飛ばされるものの、礫は風で動かないため、線の形が保たれます。
だから、この地上絵は何千年もの間、消えることなく残っているんです。
ナスカの地上絵が風化しづらいのは、この独特な構造と乾燥気候が作り出した結果なんですね。
自然と人の技が合わさって、長い時間を経ても残る、不思議な芸術作品ができあがったのです。
参考 : 日本地球惑星科学連合 ペルー・ナスカの地上絵のキャンバスは何でできているか
ナスカの地上絵が消えない理由③動物がいなかった
ナスカの地上絵が今でも残っている理由は、動物がほとんど生息していなかったことも大きな要因です。
ナスカの地上絵には、鳥やアルパカ、サル、クジラなど様々な動物の絵が描かれていますが、これらはナスカ地方に実際に生息していた動物ではありません。
実際に見て描いたわけではなく、他の地域との交流があったからだとされています。
実際のナスカ地方は、野生動物が走り回って地面を荒らすようなことはほとんどなかったと考えられています。
人が近くに住んでいたとはいえ、動物の活動が限られていたため、地上絵が破壊されることはなかったのです。
結果として、これらの多くの地上絵が現代まで残ることができたのですね。
ナスカの地上絵が消えない理由④保護活動によるもの
ナスカの地上絵の保護活動も、その存続の大きな理由のひとつです。
ナスカの地上絵は、1939年にアメリカの考古学者ポール・コソックによって発見され、その後の保護と研究が始まりました。
特に、ドイツ人女性のマリア・ライへが、この地上絵の保護に大きな貢献をしました。
マリア・ライへは、地上絵の研究と保護活動に人生を捧げ、自身の資産を活動資金に充てました。
地上絵の周りの溝の掃除を行い、地上絵を観察するために「ミラドール」と呼ばれる観測塔を最初に設置したのも彼女です。
彼女の死後、彼女の意志を受け継ぐ研究者やペルー政府によって、老朽化が進んだ観測塔も新しくなり、地上絵の周辺への立ち入りが制限されています。
2015年には、ペルー文化省と山形大学が「ナスカ地上絵プロジェクトチーム」を結成し、学術協力と地上絵の保護に関する特別協定を締結しました。
これにより、ナスカの地上絵への立ち入り調査が許可されているのは山形大学チームだけとなっています。
このように、研究者たちによる継続的な保護活動が、ナスカの地上絵が現代まで残り続ける大きな要因となっているのです。
ナスカの地上絵は実は2種類ある
ナスカには実は、2種類の地上絵が存在しています。
世界遺産登録の正式名称は「ナスカとパルパの地上絵」と言います。
つまり、目と鼻の先の同じ地域内ではありますが、地上絵は「ナスカ」と「パルパ」にあるのです。
パルパの地上絵の多くは、ナスカの地上絵よりも古く、紀元前500年から西暦200年の間に栄えたパラカス文化やトパラ文化に由来すると考えられています。
一方、ナスカの地上絵は西暦200年から700年頃に作られたものが多いんですね。
ナスカの地上絵は平地に描かれているため、上空から観察することになりますが、パルパの地上絵は山腹に描かれているため、地上からも見ることが可能です。
ナスカの地上絵が直線や幾何学模様が多いのに対し、パルパの地上絵は人の姿が多く、フリーハンドで描かれたかのような横向きの絵が特徴的。
パルパの地上絵を観光する際は、ナスカの地上絵とセットでの遊覧飛行になるため、パルパだけを目当てにしたフライトはありません。
また、ナスカの地上絵が幅1~2mの太さで描かれているのに対し、パルパの地上絵は数センチの細さ。
描かれている場所と併せて、これも発見が遅れた要因であり、知名度の低さにも関係していると考えられています。
ナスカの地上絵がある場所はどこ?
ナスカの地上絵があるのは、南米のペルー共和国の首都リマから南へ400km、ナスカ川とインヘニオ川に囲まれた平坦な砂漠地帯。
パルパの地上絵は、ナスカの地上絵のエリアのすぐ北、川を挟んで同じぐらい広大な山岳地帯のエリアにあります。
まとめ
以上、ナスカの地上絵がなぜ消えないのか?についてお伝えしました。
「ナスカとパルパの地上絵」は、ペルーの壮大な自然の中に刻まれた、古代の謎多き遺産。
描かれた時期も、描かれた理由も諸説あり、未だ解明されていない部分も多々あります。
古代の人たちも、自分たちが描いた地上絵が、まさか何千年も先の未来にまで残っているとは、想像もしていなかったかもしれませんね。
ロマンを感じます。